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伊江島観光ガイド 地図
伊江村商工会特産品へのリンク 伊江島観光ガイド 地図
観光スポット 湧出(ワジー) リリーフィールド公園
伊江島カントリークラブ
城山
伊江ビーチ
ニャティヤ洞 アーニパイル記念碑
洞窟から約2万年前と推定される人骨が発見され、縄文後期の遺跡もあり、古くから人々の生活が営まれてきた島です。

貝塚から見つかった弥生式土器からは、古代からの本土との交易も確認されています。

14世紀に沖縄本島に3つの国家が鼎立した「三山」の時代には北山の支配下となり、後に本島を統一した中山(首里王府)の支配となりました。

太平洋戦争時、激しい地上戦や集団「自決」、日本兵による住民虐殺などの悲劇があり、「沖縄戦の縮図」と言われています。戦後は大部分が米軍演習場となり、島人の土地返還運動が行われました。
伊江島の歴史
<伊江島のグスク時代>
14世紀 三山(北山・中山・南山)分立時代
伊江島は伊平屋と共に伯尼芝に占領され北山領に
1429 尚巴志が三山を統一
1470 金丸が王位につき新しい琉球王朝になる(第2尚氏)
1500 八重山でオヤケアカハチの乱勃発
1554 伊江島権現堂並びに照太寺が建立
1591 豊臣秀吉が薩摩を通して、朝鮮出兵を束める
<伊江島の島津藩支配下時代>
1609 島津摩藩が琉球に侵行
貢納布制度によりより重い税をかせられる
1610 検地帳が作成される
1611 地頭代がおかれ、行政の大綱をこの地頭代が掌った
1701 東江村・西江村・川平村がおかれる
1744 伊江島全図が12ヵ年の年月を要して完了
<伊江島の戦争時代>
1946 第二次世界大戦勃発
1944 伊江島臨戦体制に入る
伊江島の九州疎開始まる
村民の今帰仁疎開始まる(約3千人)
1945 飛行場破壊命令下る
4月21日伊江島戦終了宣言
6月23日沖縄終戦、8月15日敗戟
<伊江島のアメリカ統治時代〜現代>
1946 アメリカ軍政府は沖縄民政府を作り知事を任命
1947 九州・今帰仁の疎開にいった人、慶良問に移送された人がこの年の3月に合流
1948 波止場爆破事件
1952 沖縄民政府は琉球政府となる
真謝、西崎両区の米軍射的場問題起こる
1958 Bドル発行
1972 日本復帰
1973 フェリー伊江島が就航
1975 伊江島空港完成
1976 皇太子同妃殿下御来村祈念碑建立
1977 海底送水工事完成
1980〜 <伊江村HPリンク>
■伊江島と戦争
 ○第二次世界大戦において、伊江島は米軍の総攻撃を受け
 一木一草焼き尽くされました。

 ○その後2年間、全村民は強制移動させられ、島内には米軍
 基地が作られ今も島の35%は米軍用地となっています。

 ○村民は帰島後、米軍が用意したテント生活から島の復興を
 始め爆弾穴を利用したため池造成など農業用水確保に尽力を尽くしました。
焦土と化した伊江島
(伊江村教育委員会所蔵)
■伊江島と水利用の歴史
○生活用水や農業用水の確保は非常にたいへんでした。島内の
 生活用水の確保は、雨水の利用や湧水の利用、井戸を掘削し
 た地下水の利用などにより行われてきました。

○古代には、雨水をシャコ貝の殻や石の瓶にためたりして、飲み
 水などを確保していました。18 世紀半ばに記録されている島
 内の井戸の数は、6井戸(石なーば井、まあ井、ジブ井、水ぶ
 井、うら井、寺井)となっています。

○伊江島の北岸の海中から湧き出る清水をワジイ(湧出)といい、
 水質がよく飲料水に適しています。戦後このワジイは、上水道
 の唯一の給水源として利用されましたが、島内の水需要が増
 大したことから、現在では、沖縄本島から海底送水された上水
 道用水も利用されています。



水汲みの様子 ワジイ(湧出
■村踊りの特徴 ■村踊りの保存継承
伊江島の村踊は二才踊り(青年踊り)で沖縄の他の地域に類を
見ない独自の芸能です。

1.島で創作された踊り。
2.沖縄本島や他の地域から伝わってきた踊り
3.本土の影響を受けた踊り(ヤマト系芸能)
以上の三種類の踊り方に分類することができる。

伊江島と本土の芸能との関係については、1675年〜1876年ま
での約200年の間に伊江島総地頭がヤマト旅を仰せつかったこと
が大いに関与したのではないかといわれている。

村踊りのほとんどが2〜4人構成で、演技時間も1〜2分程度と短い。紋や帯の結び方も各区よって異なっています。
1835年頃、会所(クェージュ)が置かれた。会所は「伊江島の
学問」と「村踊り」発祥の地として島の教育と文化の発展に大き
く貢献した場所です。

旧正月には「会所踊り」を披露しておりこれが村踊りの始まりです。

後に「8月踊り」となったが、第2次世界大戦で中断するも、住民捕虜先である渡嘉敷や久志で村踊りを発表しました。

昭和48年7月21日には伊江村民俗芸能保存会が設立され、昭和55年から各区輪番制(字マール)で村踊りを発表しています。
様は 雨降花染 してぃな節 あかきな
菊の露地栽培 伊江牛
葉たばこの花摘み作業 サトウキビの栽培
4.伊江村の主要農業関連施設

■伊江島蒸留所


イエラムサンタマリアの故郷、「伊江島蒸留所」は、元々はサトウキビから砂糖(ザラメ)を精製し た後の残りかす(バガス)からバイオマスエタノールを精製する実証実験施設でした。伊江村がこの施設の譲渡を受け、ラム酒製造用に設備を再整備してできた蒸留所です。


■伊江村黒糖工場


1月の終わりから3月ごろにかけて冬に収穫されたサトウキビで黒糖 を生産(日量50トン)しています。圧搾設備で搾られた残りかす(バガス)は ボイラー燃料に利用しています。


■伊江村花き選別施設


この施設は花き自動選別機を7台設置し出荷時期における選別作業の労力の軽減 をはかり、経営規模の拡大と生産性の向上を進め、農家所得の向上に向けた花き園芸 の振興を図ることを目的に建設されました。

4.伊江村の観光

■城山(グスクヤマ)

城山は島の人々の信仰の対象であり島のシンボルです。標高 172 mの頂上から 360 度パノラマが広がり、沖縄本島や周辺の島々が望めます。
オフスクレープ現象(古い岩盤が新しい岩盤に潜りこむ中で一部が剥がれて新しい岩盤の上に乗る現象)によって形づくられたと考えられています。世界的にも本現象で形作られた山は城山しか発見されていません。

■湧出(ワジー)

「湧出」は、湧水の事を言います。
伊江村の北西岸、60Mもある断崖の下にあり、清水がこんこんと海中に流れ込むさまは他に類をみないものといわれています。また、ここの水は良質で、昔から島の大事な水源地とされてきました。
この湧出一帯は、60Mあまりの絶壁が連なり、潮の干満、空の色の変化によって、様々な相をみせ、伊江島随一の奇観を呈しています。
伊江島商工会青年部・OB会
(湧出展望台石碑より抜粋)

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■ミンカザント(天水溜め)

琉球石灰岩の上部を平たく削り、降った雨水が溜まるように工夫してあります。畑にあるので灌漑用水として利用されていました。

■リリーフィールド公園

約 2 万 6,000 坪の敷地に整備された広大な公園です。毎年4月下旬からはゆり祭りが行われます。公園の東側には、 カダ原洞穴やシダ植物群落があり、公園内には展望台なども設置されています。

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■ ニャティヤ洞

「力石」があり、子宝に恵まれない女性が持ち上げると願いがかなうという言い伝えがあります。 また、戦争中は住民の防空壕として利用され、多くの人を収容したことから「千人洞(ガマ)」 とも呼ばれています。

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■アーニーパイル記念碑

第二次世界大戦中、伊江島で命を落とした米軍の従軍記者アーニーパイルの記念碑。 毎年 4 月に在沖米人により、慰霊祭が行われます。

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■伊江村青少年旅行村(伊江ビーチ )

島の東側、エメラルドグリーンの輝くビーチに沿って広がるモクマオウ林の中に、各種設備が完備した青少年旅行村があります。
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